
薬剤師の息子アクセル・ムンテは1857年、オスカルスハムヌ市(Oskarshamn)で生まれ、そしてビンメルビとストックホルムで育てられた。
1876年ウプサラ(Uppsala)大学で医学哲学の卒業を受けてから、彼は肺の治療の為、フランスのリビエラにあるメントン(Menton)に送られた。その旅行との関連で初めてカプリ(Capri)を訪ねた。
ジャングフェルトは書く:
新しい医学者が、スウェーデンから離れて直ぐにカプリに行くのはどうしてだろう?北欧(スウェーデンも含む)でアクセル・ムンテが鼓舞されたイタリアロマンチシズムが広がっていたが、なぜ特にカプリなのか。
ドイツ人のイタリア専門家ファーディナンド・グレゴロビウス(Ferdinand Gregorovius)の本『イタリア遍歴時代』(Wanderjahre)が1850年代、イタリアで出版された。そしてカプリについての章は個別で1868年に出版された。もしかして、ムンテに趣味を起こさせたのはグレゴロビウスからか、それともそれ以後、本を読んだからか、その事はどうして分からないが、ただ言えるのはムンテはこの本を知っていたという事は事実である。
ジャングフェルトは書く:
哲学者は、カプリを「夢を見ているスフィンクスや古代の石棺」と例え、1885年からの旅の報道記事から、ムンテの言葉使いは、ほとんどグレゴロビウスの本からそのまま取られている。
鼓舞はどのように見えても、この最初の訪問は、ムンテとカプリの間に一生の愛の関係に導いた。
(ベングト・ジャングフェルト(Bengt Jangfeldt)、『ムンテのカプリ』、W&W 2004年、 9-12ページより)